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Diary|My Best Hits 2022

中川裕貴による2022年の様々なモノ/表現のベストヒット記録。


 


▼Sound(LP,CD etc)

3. Arthur Russell - Corn |ROUGH TRADE

4. Various Artists - Music For Merce 1952-2009 |New World

11.西北タイ少数民族の音楽 - 日本音楽の源流を求めて = Music Of Minorities In The Northwestern Thailand|Victor Japan


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順不同。時系列もしくは振り返って思いついた順。


1は昨年から引き続き、今年前半はフェルドマンブームでした。フェルドマンのfor~シリーズ(とある一人のヒトに向けて作曲したものがいくつかあります)は沢山聴きましたが、これとクリスチャンウォルフのがとても良かった。引き延ばされたアンサンブル。変化することや断絶することは以外と簡単で、そういうことを内在しながらも「持続」すること、また「退屈」を傍らにそれでも変化していること、そのようなアンサンブルが4時間程度続くことは、当り前ですが異様、たぐいまれなるものです。一時期の寝落ちミュージック。またフェルドマン本人が、一人のヒトを音楽で描く際に、それは基本的には1時間程度では描くことはできない(だから3,4時間になる)みたいな発言をどこかで読んでそれにも感心しました。


2はとにかく啞然。ケージ本人による、意味が崩壊したテキストのリーディングの模様とそれに「退屈?」して暴動寸前までいく聴衆の様子が収められています。CDニ枚に亘り、その様子が録音されているだけですが、単独のケージの朗読に次第に観客のヤジが入り、それが狂乱へと繋がっていくのを2時間CD2枚にわたり収録されていて、大変辛い内容。ケージの迫真?の朗読パフォーマンスと観客のサッカーの応援みたいな声や狂乱の併走が個人的には体験したことのない録音物の感じでした。ハプニングといってしまえばそれまでですが。個人的にケージが一番素晴らしいのは声だと思っていて(John Cage / David Tudor– Mesostics Re Merce Cunningham/Untitledもそうですが)、タイトル通りの「空」というか人間の退屈と虚無がここに。あんまり何度も、長く聴くと憂鬱ですよ。


3、アーサーラッセル、それなりに聴いてきましたが、『Calling Out of Context』期の未発表/別テイク音源集を集めたとされるこれが一番良くないっすか?とすら感じた。生というか歪んだチェロの音がかなりはっきり聴けること、アレンジのラフさがとても良く、素晴らしいアーティストはリハやデモが一番良いの好例だと思います。


4はマース・カニングハム舞踏団のために作曲、演奏されたケージやデビッドテュードアや小杉武久などの音源が収録されたCD10枚組。いずれも記録として素晴らしいものが沢山ありますが、個人的には7枚目のジョンケージの楽曲「four3(1991)」の演奏が白眉。これはおそらくケージのナンバーピース(奏者の人数とそれぞれが音を出すタイミングが記載されただけの楽譜をストップウォッチを使用して演奏する曲。私も演奏したことがあります)だと思いますが、ピアノ×2、レインスティック、オシレーターという編成でのこの演奏は初めてでした。ピアノ、物音(レインスティックの雨や水のような音)、無音が素晴らしいバランスで置かれており、名演だと思いました。編成も最強の布陣👇


Piano, Rainstick – David Tudor, Michael Pugliese

Rainstick – John D.S. Adams

Rainstick, Electronics [Oscillator] – Takehisa Kosugi


5、今年もワールド・ミュージック沢山聴きましたが、個人的に出色のものはこれ。パプアニューギニアのフリ族に焦点を当てたもの。録音単位でこれまでもいろいろ聴いて、様々な民族やそれに伴う演奏や儀式があることは分かってきましたが、今まで聴いた中では一番意味がわからないものがこちらでした。儀式や呪術と言われればそれまでかもですが(儀式はその内容よりも,形式というか形骸というかそういうものを優先すると個人的に思っています)、音を出す道理がここまでわからないものは余り知らない。こういう演奏ができたらと思うシーンが沢山ありました。録音はCharles Duvelle(この人が録音した音源は可能な限り集めていきたい)。


6は特にB面のSumeruが大変素晴らしかった(もちろんmandalaも良いのですが)。極めて遅いテンポで演奏される弦楽+パーカッション(by Midori Takada)で、聴いていると思いがけず「輪廻」ということばが出てくるくらいに大きな廻る何かを感じます。自身のユニットkakuhanでもこの楽曲というか佐藤聰明リスペクトの演奏を個人的にしています。おそらく権利の関係なのかこの曲だけ再発されないので、高い金だしてレコード買いました。再発されると複雑な気持ちですが、YouTubeにもあります。


7は、Riddlore、NgaFsh、Tray-Locの3名を中核として活動、Jurassic 5やKendrick Lamarにも影響を及ぼした90年代の西海岸ヒップホップの伝説的存在であるChillin Villain Empire (C.V.E.)。時代の何年も先を行く活動を展開し、サンプリングを使わずに音楽をセルフプロデュース、今日の耳にも新鮮かつ革新的に響くサウンドを作り上げてきた彼らが1993年から2003年までに残した楽曲に焦点を当てた、そのスナップショット的な一枚(meditationサイトより)。

これは車で良く聴きました。シンプルで地味といえば地味ですが、聴き続けてもずっとその味わいが消えない良盤。トラックがそこまでギラギラしておらず(最近のヒップホップはそこが少し苦手)、適度に荒く、また過剰ではないことなど含めて非常に好みでした。


8は中央アフリカ、グバヤ族によるサンザ(親指ピアノ)のOCORA録音。サンザとシェーカーと呟くような歌のみで演奏される音楽。素朴な歌や息遣い、サンザの金属片のちょっとしたノイズ、そして演奏されている環境の音が交じり合い、ここに人間の営みや自然との関わりも含めた音のすべてがあるとさえ思ってしまう素晴らしい一枚。これからもふとした時に何度も聴く作品です。


9、これが今年一番の衝撃だったかも。イタリアン・アヴァン / エスノ・ジャズロック・バンドAKTUALAの首謀者にしてイタリアン・エスニック・エレクトリック・プロジェクトFUTURO ANTICOの中心人物WALTER MAIOLI。彼が民族誌学者であるPIT PICCINELLI、人類学者にして辺境フィールド・レコーディングの猛者FRED GALESの協力を得て生み出した86年カセットテープ作品がLPリイシュー(ディスクユニオンサイトより)。


アマゾン熱帯雨林のフィールド・レコーディング素材(これ、昔から個人的に好んで聴いてるブラジルの鳥類学者・Johan Dalgas Frischの録音を使ってる気が)と電子音が混然となった作品(6891年のアマゾンを想像したもの?)。1986からみた6891のアマゾン。6891年には最早アマゾンには「自然」はないのかもしれませんが、ではその来たる自然とな何かということを音から切迫して立ち上げたすごい音像。都市と田舎がどうとか、自然との暮らしとかとか、そういう「調和」がなんたらみたいな言説が最近増えた気がしますが、そもそも自然の乱雑さ、非コントロール、捉えようのなさとはこういうものであって、そこに論理も調和もくそもなく、それぞれの存在と構造と騒音があるという感じが音に出てて最高でした。


10はイタリア電子音楽、ミュージックコンクレート作家?のValerio Tricoli。過去にClonic Earthという作品もベストにあげましたが、これは今年リリースの作品。

『Say Goodbye To the Wind』は、J.G.バラードやサミュエル・ベケットの『Le Dépeupleur』、そして「神智学」(神秘的直観、思弁、幻視、瞑想、啓示を通じて、神と結びついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするものらしい)に強い影響を受けたアルバムだという(elekingサイトから)。


Valerio Tricoliは以前から、特に音の質感という意味ではとても好きなのと、現行のミュージックコンクリート作品?では一番しっくりきます。どこの部分がそうなのかと書き出すと非常に長くなるのですが、デジタルやアナログ、具象/抽象という「極」/「点」があるとして、その間をまるで亡霊のように彷徨うということになるとValerio Tricoliの音の振る舞いは孤高かつユニークだと個人的には思っています。また下記リンクのデンシノオトさんの本作のレビューが良くまとまっていて、Valerio Tricoliがどんな作家なのかもよくわかると思います。


11は文字通り、西北タイ少数民族の音楽です。

録音は、声楽家としても知られる民族音楽研究家内田るり子。75年~80年の間に録音された500曲の中から、厳選の80曲を三枚のレコードに収録。農作業歌、子守唄、儀礼音楽、呪術音楽など、音霊捉える見事な録音で切り取った音楽風景の数々(sheyeyeサイトより|https://www.sheyeye.com/?pid=101131978)。


先に挙げたGBAYA/CENTRAFRIQUEもそうですが、いわゆる生活をしっかりと捉えた録音、また歌にフォーカスが当たったものとしてこちらも本当に素晴らしい。私自身の聴きこみが全然足りてませんが、当たり前のことながら、「飾り気がない」こと、そこから生じる表現の音像の豊かさは近年の音楽作品、いや様々な表現形式を含めても、完全に別のレイヤーにあり、それに耳を傾けることは自分にとってはかけがえのないことだと感じました。「素朴」「自然」とカテゴライズされているものの中に大量に吹き込まれている情報(それは素朴や自然ということだけでは片付けられない質感を含む)を受け取ることをこれからも継続してやっていきたい。そう思える名盤です。


12は当たり前ですが、音源作成にあたりたくさん聴きました。本作はオンラインレコードストアBoomkatが選ぶ2022年のトップリリースの5位に、またミュージックマガジンの年間ベスト、エレクトロニックミュージック部門でも5位に選ばれているようです。どちらも「5」という偶然。聴いて下さった方、どうもありがとうございました。KAKUHAN - Metal Zoneについては別リンクでチェロ演奏の側面から感じた所感を近日中に公開します。


▽次点:

Mary Mazzacane - The Art of Mary Mazzacane

Borodin Quartet - Shostakovich: String Quartet No.14, 15

篠崎史子 - ハープの個展


→特に「か​じ​ゃ​で​ぃ​風​節 」には本当にびっくりした。安易に使いたくないが本当に「時空が歪んでいる感じ」がしました。素晴らしかったです。


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▼Book

ティモシー・モートン「自然なきエコロジー」

小笠原鳥類「腐敗水族館」他

片岡一竹「疾風怒濤精神分析入門」

ジョルジョ・アガンベン「創造とアナーキー 資本主義宗教の時代における作品」

Shinichiro Shiraishi「SAMSARA」


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「自然なきエコロジー」は文字通り、エコロジーから「自然」を引き離す、距離をもたらす試論として受け取りました。おそらく2割もわからなかったけど(訳が難解でした)、私たちが「環境」というものを考えるときに登場する「自然」という用語について、それをロマン派の詩やノイズ、アンビエント・ミュージックなどを引き合いに、それ=自然という言葉がいかに不自然(というかまるで不可侵の神殿のように)に使われているか、またエコロジーというテーマの中にいる人間という特異点をどのように再度その「環境」に接続するかが論じられていた気が。個人的にはこのあたりは最近気になるテーマなので、引き続き勉強したい。

鳥類さんの詩集は今年取り組んだ作品のために何度も読み、また鳥類さんとのやり取り(フザけた発言に聴こえるかもですがやり取りの中でこのひとが本物の詩人だと何度も思った)を含めて今年の偉大な書物でした。鳥類さんがパフォーマンスの記録映像に対してご本人が感想で言われた「水は不安なテレビです」のキラーワードがまだ頭に強烈に残る。

精神分析の本はこの手の一番の入門編ということで読み、少しずつ、さわりだけですが理解が深まりました。

我らがアガンベンの新著は愛読してきた「瀆神」から続くような、アガンベンの仕事をピックアップしそれを比較的平易な形で提示してくれた良書。また今回のテキストはよりパフォーマンスや実演、行為にフォーカスが当たっていて、何だか励まさせるところも。

白石さんのsamsaraはKAKUHANのレコードジャケットやコンサートのビジュアルでも使用させて頂いた作品が載っている写真集。白石さんの手によって撮られたデレクジャーマンの庭。個人的には白石さんのジャーマンの庭に対するアプローチが、自分やKAKUHANの目指すべき音楽のかたちを示唆しているように感じ、今回このようなかたちで交流が持てたこととても嬉しく思っています。


今年は完全に読書不足で、来年はもっと沢山本を読みたいと思っています。


▼Performance,Movie etc

2/18 井上郷子 モートン・フェルドマン 「Piano Piece 1964」他 @九州大学(Feldman meets freq メディア・テクノロジーから生まれる音」)【ライブパフォーマンス】

3/5 タル・ベーラ『ダムネーション/天罰』@出町座【映画】

3/21 キアロスタミ「黄桃の味」@みなみ会館【映画】

5/5 野原位『三度目の、正直』@出町座【映画】

7/7 沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー@シネヌーヴォ【映画】

7/31 セロ弾きのゴーシュ@シネヌーヴォ【映画】

10/8 メルツバウ、バラージ・パンディ、リシャール・ピナス with 志賀理江子「Bipolar」@春秋座【ライブパフォーマンス】

11/3 『疱瘡譚』上映会+トーク《巽漬け!!》@京都芸術センター【映像/舞踏】

11/5 ミティラー美術館コレクション展 インド・コスモロジーアートの世界@和歌山県立近代美術館【展示】


2月井上郷子さんのFeldmanのピアノ演奏は、Feldmanの曲が生で聴けたのと、ピアノという楽器をここまで緻密にコントロールしているのだと(またここまでFeldmanの楽曲は繊細なのだと)いう感嘆がありました。素晴らしい演奏。3月のタル・ベーラ、キアロスタミ、3度目の正直はそれぞれに素晴らしい映画でした。特にタル・ベーラとキアロスタミはまたことあるごとに何度もみたいと思う作品でした。7月は沖縄エロス外伝〜はシネヌーヴォでのセロ弾きのゴーシュイベントの下見と併せてみましたが、とても良かったです。そのときのメモ📝:


これは意図されていない「編集」であり上映であるのだろうけれど、音声の欠落があったこと(音声が一部欠損しているというアナウンスが最初にあった)。これが一つの鑑賞の足掛かりにさえなってきた気がする。音が無くなり映像が無音で続く。映画の中の像の動きと映画館の空調の無機質な音の関係は、私たちを宙吊りにしていた部分がある(これは居心地が良い悪いの問題ではない)。アクシデントで剥ぎ取られた音声、アクシデントで剥ぎ取られた身体、意味。その痕跡が私たちに問うている部分もあった。風俗嬢の晩御飯の風景や寝泊まりしている部屋の窓から吹き込む風。そのときその生活の音はたしか鳴っておらず、遠くに見える風景だけがある。私たちは遠いところにきたのだけれど、景色は繋がっていて、ヒトという意味ではなお私たちもその以後に生きている。それを何としてとらえるのかが、問われているように思った。やはり貴重なフィルムであった。


またアニメ映画セロ弾きのゴーシュも、自分のレクチャーパフォーマンス前に会場で拝見し、映画館での大音量上映、また間宮先生の音楽を始めとても良かったです。しみじみ良いアニメーションだと思いました。僭越ながらこのイベント(上映+レクチャーパフォーマンス)は子供も大人にも良いものだったと感じています。10月メルツバウ〜のライブパフォーマンスは演奏は勿論ですが、特に志賀さんの映像が個人的には良かったです。賛否あると思うけど、所謂ノイズに対して、ただ人がこちらに向かって歩く映像などヒトそのものにフォーカスを当てた映像があそこまで親和、または効果があるとは思ってもいなかったですし、ライブに合わせて、映像をミックスしたり変化させていく手付きがとても素晴らしかった。土石流(ノイズ)の中にも確かにヒトの手足や顔、存在、時間を感じました。個人的には観たことのないオーディオビジュアル作品で、ノイズに対する他者/他方からのアプローチとしても新しいものをみた感じがある。11月土方巽の疱瘡タンは記録映像の上映。どんなヤバい映像かと身構えて行ったら、なんのことはない、普通に良くて何故かそこに驚きました。今年舞台音楽をした「水の駅」もそうでしたが、所謂マスターピースというものにある普遍性を感じた。そのときのメモ📝


土方『疱瘡譚』、大変素晴らしかった。みている中で「不能」「不全」ということばが過る。機能しない、到達しない、能う(あたう)ことのない状態のまま、進むことができる。そしてその状態/そこで何かが発揮されるという状況が舞台(映像)に確かに在った。おそらくこの感じは私たち少し前に捨てたものでもある。


ミィテラー美術館の展示は、予想以上に作品が素晴らしく、またその絵の成り立ち(下記|女性が母から娘に伝承し、そしてそれを家の壁に描いていたことなど)を含めて素直に良い展示と思いました。人によって絵が全然違っていて、伝承してるのかしてないのかわからない感じも含めてなんだかとてもよく、そしてこういった作品がここに残っていることに素直に感謝したい気持ちになりました。


灼熱の日照り、長い雨期、洪水、旱魃(かんばつ)、地震、ヒマラヤの極寒の風。自然の脅威に対して、作物の豊穰、夫や子供の幸せを祈って、ミティラーの女性たちは土壁や床に描きつづけてきた。太陽・月の運行にあわせた豊かな儀礼、家庭祭祀のたびに宇宙創造や自然神、ヒンドゥーの神々が、素朴な家の壁を飾るかのように描かれており、この地において女性たちは、3千年にわたり、母から娘へと壁画を伝承してきました。

(ミィテラー美術館サイトより)


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▼自分の活動

1月〜3月は展覧会「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」@京セラ美術館に向けての様々な準備(録音など)。それと1月には国内外で活躍されている異端のジャグラー/ダンサー?の渡邉尚さんの新作映像作品「Gravi-hyon」の音楽を担当、公開されました(録音などは昨年やってましたが年始に晴れて公開)。そして2月は結局コロナで非公開イベントになりましたが、KAKUHANの演奏を九州大学で。余談ですが自分は高校時代の志望大学が九州大学の芸術工学部でしたので、キャンパスにいけてとても嬉しかった。またこのKAKUHANの演奏記録はライブ盤のCD(KAKUHAN "LIVE0")になりました。そして3月はこちらも人数が超限定されたイベントでしたが、GEISTの公演が春秋座であり、私もこちらも演奏参加(巨大な丸い球体の中に入って演奏してました。GEISTでは基本的に誰からも直接は見られない場所で演奏してる)。4月はyatchiさんとのDUOなどをアバンギルドで。人前での演奏が久しぶりで緊張し力が入った記憶がありますが、愉しい日でした。またDUOやりたいです。


5月は小菅さんと二人で詩人・小笠原鳥類さんの詩をもとにしたパフォーマンス「拝景、鳥類さん」を。鳥類さんの詩と本人とのやり取りで沢山に刺激をうけました。鳥類さんの人柄や返信メール、詩と詩の描いているスケールに何度も驚かされ、時に大いに笑いました。この作品はまたバージョンアップさせて再演したいと思っています。また5月は森村さんとのコンサートもありました。先の展覧会でサウンドインスタレーション作品として展示されていた「影の顔の声」を森村さんの朗読と私のチェロ生演奏バージョンで。森村さんの「声」との共演は勿論、長楽館での上演+アフタヌーンティーだったのも忘れ難い体験です。6月は井上潤一さんとの共演で映像+演奏のパフォーマンス。映画の断片に音を付け続ける映画音楽しごき塾を井上さんと開催しました。また先輩からの千本ノックを受けたいです。7月は外でのソロと、これも忘れ難い、映画「セロ弾きのゴーシュ」の上演+レクチャーパフォーマンスがありました。シネヌーヴォの映画館そのものの素晴らしさ、また原作及び映画の豊かさというか真摯に原作に向き合った表現、当日のお客さんの感じなど、夏休みの子供向け企画でしたが、僕にも本当に良い思い出になりました。


8月は怒涛の9月にあった水の駅、但東さいさい、山月記の準備にいそしみながら、アバンギルドで1本だけソロを(ソロは段々とやりことが固定化されてきていて、来年は大きく変えていきたい所存)。そして9月はまずBEBERICA theatre company 『水の駅』をE9で。ベイビーシアターデビューでした。やってみて感じたことは演出の谷君との対談でもお話しましたが(リンク)、非常に良い体験でした。そしてこの月は豊岡演劇祭2022のダブルヘッダーで、一つ目は烏丸ストロークロック「但東さいさい」での音楽制作を。子供たちが歌う歌やお囃子の作曲などを行いました。遠隔からの参加で、今回は音を作って子供たちにそれを再現してもらう形になりましたが、このようなかたちで誰かに音を「手渡す」ことはほぼ初めてのことで、純粋に自分が考えたものを誰かが再現してくれることに素直に感動した部分もあります(今回は子供たちだったのも大きかった)。間に入って奔走してくれた、烏丸ストロークロックメンバーにも御礼申し上げます。そして豊岡演劇祭その2は山月記でした。今回は3つの会場(いずれも屋外)での上演。特に初回の玄武洞については、ある意味では背筋も凍る/燃える?ような現象が起きて、とんでもないものが背後にいるという畏敬の念すら感じました。おそらくずっと忘れることのない体験でしょう。この日の模様は近日中に配信コンテンツとなりみなさんにもご覧頂けるようになる予定です。山月記で演奏することはライフワークにしたいと思っていますので、来年以降もこの作品を小菅さんと上演できたらと思っています。


10月はライブはなく、11月のKAKUHANのコンサートに向けて。そして11月はKAKUHAN「musica s/tirring」@京都芸術センターでした。コンサートの方も沢山のご来場ありがとうございました。あと念願のマイ演奏用チェロ椅子もこのコンサートからの登場でした(末尾に写真載せておきます)。昨年からスタートしたKAKUHAN、来年もいろいろとやっていきますよ。また11月はカトリーヌ・コントゥールとの太宰府天満宮でのパフォーマンスもありました。太宰府天満宮、非常に良きところでした。今年は2月の九州大学も含めて、2回も福岡にいけて良かったです。12月は世間のAFFイベントとは関係なくゆるりと過ごし、坂口光央さんとのDUOライブで2022フィニッシュでした。無事にここまでたどり着けた。

あと上には記載してませんが、水面下では、2021年11月にクラブメトロでライブ録音した、柴田剛 新作短編映画『TUNING』の映画音楽も粛々と準備しました。音楽/音響の作業は終わりましたので、来年どこかでお披露目する機会があればと思っています。


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昨年は夏に体調を壊して、以降はそれをかばいながらの生活でしたが、今年はその辺りの体調のセーブに仕方も少しはわかり、その中で出来る限りのことはやったかなという印象。その中でいろいろな変化や新たに開かれていく芽みたいなものにもいくつも触れました。昨年に比較すると移動距離は減った感じはしますが、関わる現場は昨年以上に濃密で、沢山の素晴らしい体験をさせて貰いました。それぞれの関係者、またお越し頂いた方に御礼申し上げます。来年は引き続きいろいろとセーブしながらも、おそらくですが、より広くそして遠くにいくことになると思いますが(海外での演奏予定もありそうです)、引き続きそれぞれに真摯に取り組んでいきたいと考えています。また基本的にここ数年は誰かとのコラボレーション、共同製作を行うことがメインになっていますが、今一度ソロというか自分単独でできること、実現したいことにも向き合い、来年はその芽を少しでもお見せできる機会があればとも思います(結局過去のソロ演奏のアーカイブも出せなかった、、、ので来年こそは)。


ということで毎年なんでこんなに長い文章になるのかと辟易ともしますが、ここまでみたあなたにも来年は幸があることを願って、よいお年をお迎えください。また来年もよろしくお願いします。



中川裕貴




撮影:井上 嘉和


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